訪問介護パートブログ|「人生の軸」が定まった日。Tさんとの忘れられない会話

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訪問介護のパートとして働く魅力のひとつは、さまざまなご利用者さまと1対1でじっくり関われることにあります。
ご自宅にうかがって日常を支える中で、自然と会話が生まれ、人生の深い話や思いがけない学びに触れることも少なくありません。

ときには、その出会いが自分自身の生き方を見つめ直す大きなきっかけになることもあります。

私自身、訪問介護の仕事を通じて多くの方と出会い、たくさんのことを学ばせていただきました。
中でも、あるご利用者のTさんとの関わりは、私の人生観や“生き方の軸”を大きく変える出会いとなりました。

この記事では、「どう生きるべきか」と悩んでいた私が、Tさんとの対話を通じて“自分なりの答え”にたどりついた過程をお伝えします。

訪問介護の現場に興味がある方、仕事を始めようか迷っている方にとって、
この仕事ならではの“出会いの尊さ”を少しでも感じていただけたら嬉しいです。

Tさんは、どんな人だった?

訪問介護の仕事を始めて3年ほど経った頃、私はTさんのお宅へ通うことになりました。

Tさんは明治生まれの96歳。小柄で痩せていて、いつも白い浴衣を着ていらっしゃいました。物腰がやわらかく、初めてお会いした時からどこか親しみやすさを感じたのを覚えています。

息子さんと二人暮らしでしたが、日中は息子さんが仕事に出ておられるため、Tさんは基本的におひとりで過ごしていました。要介護2の認定を受けており、私は週に3回、お昼ご飯の支度のために訪問していました。

カラッとしていて嫌味がない、落語に出てくるような人

Tさんは、おしゃべりというほどではありませんでしたが、こちらから話しかけると、いつも朗らかに返してくれました。時にはひとひねりした冗談を交えて返してくれることもあり、話していると、自然とこちらも笑顔になるような方でした。

「今日は何を食べましょうか?」と尋ねると、「その辺のものに、醤油をかけてくれればいいです」と。食事にもこだわりがなく、基本的には何でもこちらに任せてくださるようなスタンスでした。

当時私は、落語をよく聴いていたのですが、Tさんはまるで落語に出てくる町のご隠居さんのような、飄々としていて嫌味がなく、カラッとした雰囲気の持ち主。とても関わりやすく、自然とこちらから話しかけたくなるような方でした。

Tさん
Tさん

その辺のものに、醤油をかけてもらえれば

不満や文句が口から出てこない人って、いるんだなと思った

そんなTさんと関わるうちに、ふと気づいたことがありました。

それは、「この人は、不満や愚痴をまったく言わない」ということ。

訪問介護の現場では、ご利用者さんとの会話の中に、何かしらの不満や文句、愚痴が入ってくることが多くあります。「家族がちっとも面倒を見てくれない」とか、「テレビの〇〇がけしからん」とか、「暑い」「寒い」「痛い」といった、日々のしんどさの吐露。

それは当たり前のことで、人間なら誰でも、言いたくなる瞬間があると思います。だから私は、そうした声にはちゃんと耳を傾け、うなずいて受け止めるようにしてきました。

でも、Tさんは違いました。驚くほど、そういったネガティブな言葉が出てこない。

「なぜだろう?」「どうしてこの人は、文句を言わないんだろう?」——その違和感が、強い関心へと変わっていきました。

山のごとし
山のごとし

あれ?どうして不満が出てこないんだろう?

想像を絶するような、苦労の連続の人生

私は、Tさんにどんどん興味が湧いていきました。

「この人はどんな人生を歩んできたのだろう?」と、自然に訊きたくなり、Tさんも穏やかにいろいろな話をしてくれました。

聞けば、Tさんは生まれてすぐに里子に出され、育ての父親からはお金をせびられたそうです。結婚した旦那さんからは暴力を受け、幼い子供を連れて夜逃げを余儀なくされたこともありました。関東大震災や太平洋戦争など、大きな災害や時代の波にも翻弄されてきたといいます。

語り口は淡々としていましたが、そのひとつひとつが胸に残る重みを持っていました。

「苦労の連続だった」とTさんはさらりと言いましたが、それは想像を絶するような出来事の数々でした。

Tさん
Tさん

それでも、そのおとっつぁんのことは好きだったな…

どんな質問にも、優しくて核心を突いた答えが返ってくる

もっとTさんのことを知りたくなった私は、日々のニュースやふと浮かんだ疑問を、Tさんにたくさんぶつけてみました。

ある日、テレビで「通勤電車で痴漢があった」という報道を観た時、私はTさんに「こういうの、どう思います?」と訊いてみました。

Tさんは少し笑って、「まあ、触りたくなっちゃうよね」と言いました。

てっきり、「けしからん」という答えが返ってくると思っていたので、その一言に驚きましたが、それは決して軽く言っているわけではなく、誰かを断罪するでもなく、人の弱さや欲を、否定せず受け止めるような感覚がありました。善悪ではなく、「人間ってそういう部分がある」という前提で話す感じだったのです。

他にもたくさんの質問をしましたが、Tさんは何を訊いても答えてくれました。その言葉はいつも、経験に裏打ちされた重みがありながら、説教くさくなることはなく、どこかユーモアすら含んでいて、不思議と心に残るものでした。

山のごとし
山のごとし

なるほど…そう捉えるのか……!!

 「このままじゃダメだ」と思っていたあの頃の自分

自分はどう生きていけばいいんだろう?

Tさんと出会った当時、私は26歳。「自分はこういうふうに生きていく」という人生の軸がなかなか定まらず、自分が何に向かって努力すればいいのか分からず、悶々としていました。

この状態から脱するヒントが、何か少しでも欲しい…

そう思っていたときです。
ふと、こんな考えが浮かびました。

もしかしたら、「どう生きるべきか」の答えを持っているのは、死に近づいたことのある人なのかもしれない。

そういう人たちがどういうことを考えているのか、話を聞いてみたい…!
それが、訪問介護の仕事を始めたきっかけでした。

ダンスにも向き合えず、自分にも向き合えなかった

そのころ、介護の仕事と並行して、ダンスも学んでいました。最初は純粋に楽しくて始めたものでしたが、いつの間にか「プロを目指すのが正しい道なんじゃないか」と思い始めていました。

でも、どこか本気になりきれない。
スキルもまだまだで、手応えもない。
自分で立てた目標を、そもそも自分自身が信じられていなかったというのが正直なところです。

「プロを目指す」とすることで、どう生きるか悩んでいる状態をごまかしていたようなところがあります。

結果も出せず、努力もしきれない状況。
どうしたらそんな自分を変えられるのか?
自分は本当はどうしたいのか?

山のごとし
山のごとし

このままではダメだ……!!

Tさんとの会話からの気づき──「人は変わらないのかもしれない」

戦時中の、“火事場泥棒”の話

あるとき、Tさんと戦争の話になりました。
空襲が始まり、人々は近くの学校の被服室に避難したそうです。
でも、その被服室ごと焼けてしまい、多くの命が奪われました。

亡くなった人たちは、金の指輪やネックレス、家財などを持って逃げていたそうです。
それらの貴重品を目当てに、焼け跡へ“盗りに行く人たち”が後を絶たなかったとTさんは話しました。

「Tさんは、行かなかったんですか?」

そう尋ねると、Tさんは少し間をおいて、静かに言いました。

「私は、勇気がなくて行けなかった。」

修羅場をくぐっても、悪い人は悪いままだった

そのとき私が感じたのは、
「行く人」と「行かない人」が、確かにいるんだということでした。

極限状態です。
もしかしたら、小さな子どもに食べさせるものすらなかったのかもしれない。
そう思えば、「仕方なかった」とも言える気がします。

でも、Tさんは「行かなかった人」でした。
私は自分ならどうするだろう? そう考えて、言葉が詰まりました。

「変わらないね」その一言が、胸に突き刺さった

私は、ずっとこう思っていたのです。

人は、大きな困難や修羅場をくぐり抜けたら、
きっと強く、立派に生まれ変われるんじゃないか。

Tさんに聞いてみました。

「そういう場面を乗り越えたら、人は立派な人間に変わると思いますか?」

Tさんは、即答でした。

「変わらないね。」

それは、静かだけれど、重くて真っ直ぐな言葉でした。
悪い人は、その後も悪いことをする。人は、そう簡単には変わらない。

変わらないねぇ

都合のいい“変身”なんて、きっとない

変わらないのか――。

私は、少しショックを受けました。
でも、どこかでストンと腑に落ちた感じもありました。

ずっと、「どうすれば変われるか」を考えていたけれど、
魔法のように自分が変わる瞬間なんて、本当はないのかもしれない。

そう思ったとき、何か少し視界が開けたような気がしました。

自分ができることは、「なりたい自分に寄せていく」こと

Tさんみたいになりたい、でも自分はそうなれないかもしれない

Tさんは、愛嬌があって、カラッとしていて、嫌味がない。
私はTさんのことが大好きでした。
そして、自分が理想とする人物像に、一番近い人でもありました。

だけど一方で、私はTさんとはタイプが違うということも分かっていました。
生まれ持っての性質の違いがあって、私がTさんみたいにはなれないだろうとうっすらと感じていました。

できることがあるとすれば、それは、少しずつ近づけていくこと

Tさんとのやりとりの中で私は、「人は変わらないかもしれない」と感じました。
自分の性質も、おそらく急には変えられない。
でも、まったく変われないということでもない気がしていました。

だとしたら──
“なりたい自分に、少しずつ寄せていけばいい”のかもしれない。

私は、Tさんのような人に「なりたい」。
それに対して自分ができることは、「少しずつそこに近づけていくこと」だけ。

そう思ったとき、自分がどこへ向かえばいいのか、ようやく分かった気がしました。

山のごとし
山のごとし

最初は、何者かにならなければ、自分には価値がないように感じて焦っていました。
でも、本当は「なりたい自分」というものがあったら、ただそこに“寄せていく”方向に努力していけばよかっただけなんですね。

それが、「自分のやるべきこと」だったんですね。

答えが定まったとき、悩みはすっと消えた

そのことに気づいてからは、今までより自分の人生がしっくりくるようになった気がします。
これまで何をしても空回りしていた感覚が消えて、少しずつ噛み合ってきた感じです。

あのとき私は28歳。
心の中で、「30歳までには間に合ったな」と、
静かにそう思ったのを覚えています。

Tさんの、その後と、私の今

あのときの出会いは、今でも私の中で生きている

Tさんは、101歳で亡くなりました。
「もう良いんだけどねぇ。自分で死ぬわけにも行かないしね。」と、いつもそんな調子で笑って言っていました。

またお話を聞いてみたいときもありますが、もう聞けません。
私は、ギリギリでTさんにお会いできたのでラッキーだったと思っています。何かのすれ違いでお会いできていなかったら、私は違う人生になっていたかもしれません。

Tさんの、あの感じ、あの雰囲気というのは、実際に会ってみて分かるところもあります。
ああいうカッコいい人に会えたということ、あの感じを知っているということは私の財産だと思っています。

私が今、大切にしている「生き方」の軸

私が今、どういう軸で生きているかというと、「ちょっとでもマシになりたい」ということです。

私は、いろんな“カッコいい人”に出会ってきました。
Tさんもその一人です。(そういえばTさんは、ねずみ小僧になりたかったとよく言っていました)

いろいろなカッコよさを知って、自分をそこにちょっとでも近づけるようにする。
ちょっとずつ、ちょっとずつやっていった結果、自分が少しマシになって、カッコいいみなさんに少しでも近づけたら──
それは、とても嬉しいことです。


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